カウンセリングの3大源流
1. 職業指導運動
1900年代初めのアメリカでは工業化が急速に進み、それによって農村部から多くの労働者が都市部に集まり工場で働き始めました。
当時のアメリカ都市部の労働は、一人ひとりの能力や適性を考慮するという事はなく、機械的に仕事を割り振られ、それをこなすだけというようなものだったようです。
そのような状況下では、工場で働き始めた人たちも仕事が続かなくなり、適性の無い仕事に従事することで孤独に悩むという人も増えていきました。
増加した工場労働者の退職や孤独、仕事を辞めて都市部に残った人々が、生活苦から犯罪に走ったり、悪に染まる若者も増えていくという問題も生じたようです。
こうした問題を改善しよう、このような人々を救おうと社会運動の活動家であるフランク・パーソンズが職業指導運動を始めました。
パーソンズは1905年にボストンの市民厚生館に職業局を設けて、工場での労働に関する問題に悩む人々に対して、一人ひとりの長所や特技にあわせた適材適所という理念に基づき職業指導を開始しました。
職業局で指導を行う人はカウンセラーと呼ばれ、ここで行われた職業の分析と個人の分析は、カウンセラーという名称とともに、カウンセリング制度の源流となりました。
パーソンズは1909年に「職業の選択」という著書を出し、その中の重要なキーワードとして、【特性因子理論】【マッチング理論】【ペグの理論】があり、どれも特性因子理論のことを指しています。
『特性』とは個性・パーソナリティ・自分自身の事で、『因子』とは環境・仕事内容・必要能力の事を指します。
これらを合理的な推論を元に適合(マッチング)させることで職業満足度やパフォーマンスが上がるといった理論になります。
ネジとネジ穴がピッタリ(丸い釘が丸い穴へ)と合うような適合を重視することから『ペグの理論』とも言われています。
これらの理論は後のキャリアカウンセリングへとつながっていくことになります。
パーソンズはこの著書の中で、賢明な職業選択を実現させるためには、3つの要素とそれを支援する7つの段階があると提唱しています。
3つの要素とは、
①自分自身(適性、能力、興味、目標、強み、弱み、そして、それらの原因)についてはっきりと理解すること、つまり、自己分析(自己理解)が必要ということ。
②仕事に付随する各種の情報(仕事の要件、成功の条件、有利な点、不利な点、報酬、就職の機会、将来性)を得ること、つまり、職業分析(仕事理解)が必要ということ。
③これら2つのグループの関係について「正しい推論(true reasoning)」をすること、つまり理論的推論(思考投入)が必要ということ。
これら3つの要素を支援する7段階とは、
①【 個人資料の記述】個人の就業に関する主要な要因の記述。職業教育と関係がある課題を忘れずに記述すること。
② 【自己分析】カウンセラー指導のもとに実施。興味や傾向は職業選択に影響を与える可能性があるので記録した方がよい。
③ 【選択と意思決定】選択と意思決定は①、②の段階で起きる可能性もある。自分自身で選択・意志決定させるべきという事をカウンセラーは留意しなければならない。
④ 【カウンセラーによる分析】クライエントが探求しているものと整合性がとれているかを分析する。
⑤ 【職業についての概観と展望】カウンセラーの産業の知識の支援のもとクライエントの職業位に関する概観と展望を支援する。
⑥ 【推論とアドバイス】論理的で明確な推論と結び付けられた態度でアドバイスを行う。
⑦ 【選択した職業への適合のための援助 】カウンセラーは、クライントが選んだ仕事への適合と、意思決定に関する振り返りを支援する。
パーソンズの「賢明な職業選択」の3つ要素とそれを支援する7段階があるという提唱には、
① マッチングを重視しすぎる点
② 人と職業の関係は固定的なものではない。(人は成⻑(発達)し、職業も変わる(例:機械化))
③ 現実的には合理的な推論によってマッチングされることは意外と少ないような点について考慮が足りない。(景気動向や偶然に左右される。)
といった問題点が指摘されていますが、職業選択という社会課題に対して非常に大きな貢献を果たしたと言われています。
また、100年以上前の理論が、ほぼそのまま現代まで残って、GATB(厚 生労働省編一般職業適性検査)などを生み出す源となったとその功績が讃えられています。
2. 教育測定運動
教育測定運動とは、カウンセリングに用いられる心理テストの開発に関する運動の事をいいます。
アメリカの心理学者・教育学者で、教育評価の分野では、教育測定運動の父と言われるエドワード・L・ソーンダイクは、1904年「精神的・社会的測定理論入門」を出版し、「すべて存在するものは量的に存在する。量的に存在するものはこれを測定することができる」という概念を発表しました。
1905年にフランスのビネー(Binet,A.)らによって考案された知能検査がアメリカでも反響を呼び、多くの知能検査が開発され、教育測定運動に弾みをつけました。
この運動の主張の中心は「測定」であり、「客観性」ということになります。
ソーンダイクの概念は、学力は測定可能であると主張し、 教育測定運動とは、自然科学における測定法の発展を背景にして人の認知的側面について科学的・客観的な接近可能性を高めようとした試みということになります。
この運動は第一次世界大戦の戦時下において急速に発展していき、戦時中に心理テストの技術が開発され、戦争が終わるとその技術はアメリカの教育界に広まっていきました。
心理テストの技術を教育の場に適用し、測定によって得られたデータをもとに、一人一人にあわせた指導を行う理論を発展させました。
また、教育測定運動によって培われた心理テストによる個人の分析方法は、職業指導運動と結びつくことで、職業指導をより発展させていきました。
3. 精神衛生運動
アメリカの精神衛生運動家であるクリフォード・ピアーズが中心となって行った運動です。
イェール大学在学中に兄を脳腫瘍で亡くした後、自分も兄にように発病するのではないかという不安に襲われました。
ニューヨークの保険会社に就職後もその不安は益々大きくなり、就職後3年にして抑うつ状態や妄想が出現し、1900年自殺をはかったため精神病院に入院させられました。
3度にわたる入院、転院の間、彼の内面は理解されず、ビアーズは監護人から暴行、強迫、監禁などを受け、罪人のように扱われ、ひどい待遇を受けました。
かろうじて退院できた後、その経験をもとに、ピアーズは患者の内的世界を理解し、それにもとづいた治療を行う必要性を訴えました。
ビアーズはその体験記を「わが魂にあうまで」という本として1908年出版し、マイヤー、ジェームスやウェルシュのような有力者や、心理学者や医療関係者などの協力、支援を得て、コネチカット州精神衛生協会を設立し、会長となりました。
協会を設立したピアーズは、精神病患者の待遇改善を求める運動を開始しました。
患者の内的世界を理解することの重要性を提唱したこの運動は、人間理解という観点から、カウンセリングの発展に大きな影響を与えたといわれています。
1928年には全米精神衛生財団が設立され、1930年には第1回精神衛生会議が開催されるなど、精神衛生運動は世界的な規模に広がっていったこの運動は、初期には患者の現状調査や改善に力を注いでいましたが、後には予防、健康の保持、向上を主張するようになり、精神医学、カウンセリングなどと統合しながら、現在のメンタルヘルス運動への流れをつくったといわれています。